Img20080304232415
3回目の結婚記念日。

僕らが出会ったのは今から5年前。いわゆる職場恋愛だった。
そんな馴れ初めはまたいつか語るとして(語るのか?)、
今日は彼女との「縁」の話をしてみたい。いや、のろけじゃなくて。

これは、彼女とはじめて出会う前から気付いていたことだったけれど、
彼女の名前は僕の母の名前(千鶴子)と一字違いの、「千鶴」という。

母の生まれた時代では、当たり前のようにあった名前だとは思う。
しかし、彼女の世代くらいになると(彼女は僕の4つ下だ)、
それはさすがにやや古くさい、ともすれば珍しいとさえ感じる名前だ。
僕と同世代、もしくはそれ以下で同じ名前の女性と出会ったことが
彼女以外に一度もないことがそれを如実に物語っているといえよう。

僕は職場でひょんなことからその身近な響きのする"やや"古風な名前を知った。
その当時はまだ彼女の名前と顔が僕のなかで一致していなかったけれど、
いくらかは仕事を通じて、いくらかは仕事とはまったく関係ないところで
僕らは会話をするようになり、そして、いつしか恋をしていた。

だから僕が、母と彼女の名前の奇妙な偶然に興味をひかれたのかなんなのか、
彼女との出会いが、何が先で何があとなのか、今となってはよくわからない。

そして、これは結婚してから知ったことだけれど、
義父の母方の名字は偶然にも僕と同じ、「濱田」だという。

義父がまだ幼いとき、その父は戦争にいったまま帰らぬ人となったそうだ。
それでも義父の母は自らの姓をもと(=濱田)に戻すことはなかった。
つまり、皮肉にも義父は、その姿を見ることがなかった父方の姓のまま、
これまで生きてきたのだ。

もし、義父が母方のもとの姓に戻していたならば、
そう思うと、そもそも僕と彼女が出会っていたかどうかも分からないけれど、
いずれにしても彼女は僕と同姓であったことだろう。
しかし、実際はもちろんそうではなかった。
彼女の姓は、むしろ「濱田」とは対極をなす「山内」なのだ。

彼女は僕と結婚し、それまでの姓を捨て、
まわりまわって「濱田」という名字になった。
いや、何十年の時を経て戻った、と言えるかもしれない。

それらはどちらも僕が生まれるずっと前からある名字と名前。
濱田と千鶴。
一つは僕と同じ姓で、もう一つは僕を産んだ人の名前(とほぼ同じ)。

片手で数えられるほどではあれ、
彼女と出会う前に僕も人並みに恋愛をしてきた。
この広い世界、長い年月、さまざまな出会い、
姓名の組み合わせは無限にあったはずだけれど
計らずも彼女は最終的に自らにとってもゆかりのある
その姓名に落ち着いたのだ。

そんなふうに言うのはこじつけのようにも感じられるかもしれないが、
恋愛の行方がどうなるかなんて本人には分からないし、
無論本人以外の誰にもわからないことなのだから
こうやってあとにならなければ僕は僕らの脈絡を語ることはできないのだ。

それでも結婚という道を選んだ、僕と彼女の名前にまつわる「縁」というものを
僕は、彼女と出会い5年経った今でも、不思議に思わずにはいられない。

そんなわけで僕の携帯電話のメモリには今、ほぼ同じ姓名が連続で並んでいる。
おかげで彼女に送るつもりの誰にも見せられないような内容のメールを
危うく母に送信してしまいそうになり、
そのたびに僕が「送信中止」のボタンを親指で連打しながら
冷や汗をかいているというのは言うまでもないだろう。

さて、子供たちが未来、どんな名前の女の子と出会うのかこれから楽しみだ。