ファインダーを通して自分が幼かった頃を見るように、
何も考えずに思い切り走っていたことを思い出す。
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ひさびさにうってぃが髪を切り、
はるさんがシャッターを切る、そんな夏のはじまり。
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食べ方に性格でるよね。
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夕立に手を伸ばす。
ひんやりして気持ちいい。
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まずはピントの意味から教えなければいけない。
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最近はるさんが説教くさい。
「パパ、はよかえってこーへんかったら、はるくんおこるで!」 「パパ、ちゃんとべんとうたべへんかったら、おおきくならへんで!」 どれもこれも彼なりに筋が通っているから返答につまってしまう。 幼稚園やそこらのこどもでもこれほどに弁が立つのなら、 もっと大きくなったらどうなるのかと先が思いやられる日々だ。 ところで、僕の父は、わからないことがあれば躊躇いなく僕に質問するような人だった。 中学のときに「じ」と「ぢ」の違いや使い分けについて聞かれたことさえある。 当時は、なぜそういうことも知らないのか、 なぜこどもにきくのか、とひとりよく首をひねったものだ。 それから月日は流れ、未だに信じられない時もあるけれど、僕も父親になった。 昔は不思議で仕方がなかった父のそんな態度も、今ではなんとなく理解できる。 なぜなら、支離滅裂で脈絡のないことしか喋らなかったこどもたちが、 言葉の使い方や状況を読み取ることを覚え、 今や大人とまったく対等な会話ができるようにまでなったからだ。 こちらは、まだまだこども、と思っているから 繰り出される言葉とのギャップにたまに面食らったりする。 そのうちきっと僕もこどもたちにいろんなことを訊ねるだろう。 そしてかつての僕がそうだったように、彼らも不思議に思うだろう。 父はなぜそんなことをこどもにきくのか、と。 そのせいで僕は、威厳のようなものを失うかもしれない。 それはちょっぴり残念な気もするけれど もしかしたら父親はそれくらいの存在でもいいのかもしれない。 少なくとも僕はこどもたちからこんなふうに いろんなことに気付かされ、教えられている。 そう思うと、改めて考えるまでもなく、 最初から僕らは対等な関係だったのかもしれない。 これからも僕は説教されて困ることになるかもしれない。 それでも、こうやってあの頃の自分と父の関係を今に重ねてみると、 僕ら親子がどんなふうになっていくのかがとても楽しみに思える。 さて、たまには怒られないように早く家に帰らないと。 |
夫婦そろって落ち武者になった日。
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はまだハウスのプール開き。
こぼれ落ちる笑顔、あふれ出る水。
ご通行のみなさまご注意ください。
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あれは僕かな・・・
僕のような・・・
僕こんなんやったっけな・・・
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はるさんとたそがれ散歩。もうちょっとで夏休み。
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大きくなあれ!
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お値段以上にくつろぎすぎ。
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どうもはるさんがみなチンに怒っているようだ。
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